tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

2017-08-14

なんだか遠い日が続きます。

ときどき、無性に書きたい気分になることがあります。

でも、いままでそうして書き始めては、

書き終える前にやめてきました。

 

それは、書くのを忘れてしまったまま、

ぼーっと暮らしてしまっていたり、

書くのが恥ずかしくなってしまい、

打ち切りにしてしまったりしたのでした。

 

なにをして過ごしてきたか

一日ふりかえってみたけれど

あまりに今日はぼんやりしていて

思えば僕は 僕の暮らしは

0歳のころから今日までずっと

ぼんやりしていたんじゃないか

(「僕の病気」より)

 

なんだか遠い日が続きます。

今は何もやっていません。

もうずっと何もやっていませんでした。

 

一昨日詰将棋というものを覚えました。

将棋のルールは小学生の頃から知っていましたが、

詰将棋はまともにやったことがありませんでした。

 

一昨日一生懸命一手詰めを五十問程解きました。

昨日一生懸命三手詰めを五十問程解きました。

今日一生懸命五手詰めを二十問くらい解いたのですが、

難しいので一旦三手詰めに引き返しています。

 

先週は英語か歴史の勉強をしたいと思いました。

今年のはじめにも同じことを思い、高校の世界史の教科書や、

英語の単語帳などを購入していましたが、

一ヶ月ほどのめりこんだあと放り出してしまっていました。

 

単語帳をひっぱりだしてきて、三日程のめりこみました。

そのあと詰将棋を見つけて英単語はあまりやっていません。

 

英語を覚えて何がしたいのかなあと考えています。

もとはラカンの本や、その他いろいろな本が、

英語ならばインターネット上で読めるということに感動し、

それで英語が読めるようになりたいと思ったのでした。

 

加えて、日本語版Wikipediaでは記事が存在しない偉人がいたり、

英語が読めたらいいなあと思ったのです。

 

歴史に関しては、政治経済に少し興味があったのです。

だから、教科書をはじめから読んで、

イオニア植民市が云々と言われても、あまり響きませんでした。

 

嫌いだった学校生活を思い出してしまい、

英単語を覚えるのも、現在少し億劫です。

 

最近はYoutubeを見ています。

毒にも薬にもならないものをたっぷり見ています。

毒や薬になりそうなものは、むしろ中身が空っぽだったりします。

でも、毒にも薬にもならないものも、明らかに中身が空っぽです。

 

中身が空っぽって、いったいなんだろう、

ということを考え始めて、もう五年たちます。

二の句が継げない、とでもいいたいような、

進展のない状態のままぽかんと暮らしています。

 

英語、読めるようになりたいなあと漠然と思います。

でも、空っぽ、空っぽだなあというぽかんとした気持ちがあります。

ぽかんとした気持ちが、風船を内側からひっくり返すように

攻撃的な気持ちになって、僕を無気力に追いやろうとすることがあります。

それは怒っているのだと思います。

いつまでも自立することができない僕の無力さに対して、

いつまでも僕を許すことのできない世界の無力さに対して、