夜がやってきました。
Mount&Bladeという昔プレイしていたゲームを懐かしみながらプレイしていたら、
あっという間に五時間が過ぎていきました。
ゲームをプレイしていると、ああ時間を無駄にしているという気がしてきます。
これは妙な感覚です。なぜなら時間を有効に使うなどということはないからです。
僕らの本質は「死を待つ存在」です。
だから死への距離が縮まったということは大変喜ばしいことのはずです。
時間を使うことが忌避されるのは、死が恐怖されているからです。
自分が死に行っているという自覚が恐怖を呼び起こし、
それを避けねばならないと考えるわけです。
ゲームをしていない時間、僕は死への恐れを前にあたふたして、
あれをしなくてはこれをしなくてはと動き回ります。
そして冷静になったとき、結局しなくてはいけないこととは何なのか?
という新たな疑念が生まれてきます。
それをすることで死から自分を遠ざけるような行為というものは存在していません。
死というものは必然です。それを前に行為Aも行為Bも大差ないのです。
それでも僕らはどこか、"魔法のような解決"を期待しています。
特に他者に対して強く期待しています。他者とは話す存在です。
語りの中に知を期待しています。僕らを救い出してくれる知、
つまり僕らがどのように行為すればいいか、教えてくれる知を。