tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

19.12.17-2

もう映画はしばらく見ないと思っていたが、ホドロフスキーのエルトポを見た。ニーアオートマタという評判の良いゲームをプレイしてみて、最初の三十分で余りの程度の低さに驚いたからだ。映画がどれだけマシな娯楽か思い知って観る気にもなった。

最初の三分で心を奪われ、次の三分で泣きそうになった。良い映画との出会いはいつでも、奇跡的だと感じられる。

父性、命令法、それだ、それだけだ、必要なものは。そのことがガーンと分かってやられた。大衆映画や前衛映画に見られる気の抜けた父性の陰にいる作品、また父性の不在に意識的でない水準で向かうタルコフスキーら実存映画。ホドロフスキーの映画がそれらと違うのは、父性というものに意識的であること、批判的でありながら、肯定的であること。だからホドロフスキー、それはもちろん寺山修司三島由紀夫が求めていたものだ。その安定感たるや。

 

このところ自分が何を考えているのか分からない。整理しようと思うが混線している。