tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

2017-08-15

ベッド脇でクロゴキブリの幼生を見つけましたが、取り逃がしてしまいました。

どうして自分は、ゴキブリがこんなに苦手になってしまったのだろうと思っています。

成人する前後からゴキブリや蜘蛛が異様に苦手になりました。

何か別のものへの恐怖がゴキブリへ凝結固着しているのだと感じます。

ひとまずゴキブリ用のスプレーを噴射しておきました。

 

クレイジージャーニーという番組の過去の放送回をいくつか見ていました。

メキシコでの麻薬戦争への取材回と、

ゲイの方たちが集う「ハッテン場」の特集回の2つが面白かったです。

 

性的であるということは支配関係が顕在的であるということとほとんど重なっています。

支配することと、されることが、極端に現れた水準が「性的」という地平だと考えています。

それは、いわゆるセクシャル、あるいはジェンダーという意味での「性」とは違って、

「性的」という地平が、そうであると考えています。

 

「性的」という概念の覆う広さ、また深さを考えると、

「男性」「女性」というジェンダーは関係を支配する「イメージ」の世界に存在する、

ほんの一つのものに過ぎないと考えています。ある意味で、大した差ではないものです。

それらが意味を持つのは、あくまで「性的」というものがイメージの世界を訪れるとき、

欲望が「女性」というイメージを志向するというところで問題になるだけのものだということです。

 

どうして男性が女性を志向し女性が男性を志向するのか、あるいはしないのかという問題は、

母子関係を参照することで解けるはずだと考えていますが、具体的には切り込んでいません。

性的欲望が何を、どう志向しているかという大きな問題を解くことが、どちらにしろ必要だからです。

ここで、何をというのは、性的欲望が志向しうる様々な対象をひとつずつ書き出していくことではありません。

性的欲望が乳房を求めていたり、女性を求めているとき、それはその内へ、「何を」求めているか解き明かす必要があると考えています。

 

                                   「性的という場」

 

今日は予定通りシステム英単語のベーシック(1-600)の章を一周しました。(総計二周)

加えて山川世界史Bの15章を一読しました。

明日はシステム英単語アドバンスドの章を一周したあと、

山川世界史Bの15・16章を再度読み通そうと思います。

 

加えて山川の倫理と政治経済の高校教科書をAmazonで購入しました。

倫理の教科書を購入したのは、サンプル画像上のフロイトの項目が簡潔ながら的確にまとめられているように見えたからです。

教養のない僕が思想の流れや政治経済の基礎の基礎を学ぶのならば、高校教科書はいい教材になるのではと思いました。

ただしあくまでしばらくは、システム英単語での暗記と山川世界史Bの通読に集中しようと思っています。