妙に親しい日が続きます。
暮らしの空っぽさが妙にきちんと空っぽなのです。
それほど書きたいわけでもないのに書いています。
2017年の8月から9月にかけて、日誌というタイトルのブログを書いていました。
それを読み返していたら、唐突に終わってしまって、つい続きが読みたくなったのです。
でも、続きは僕が書くしかありません。だから、今僕は二年越しの続編を書いているわけです。
あれから本当にいろんなことがありました。
ほとんどの期間無職で、何もしていないはずなのに、
本当にいろんなことがあったと感じられるから不思議です。
世界一周したみたいに、何周も何周も自分の周りを周りました。
その間に起こったことについて書きながら、この日誌の寿命を燃やしていくつもりです。
友部正人という詩人がいます。僕は彼への憧れを通して沢山のことを学びました。
着地点は、僕は友部正人になれないということでした。それは良い意味でも悪い意味でもです。
僕は彼のようになれないと気がついたのが、つい最近のことでした。だから、今はそれが記憶に新しい事件です。
それから、二十歳の頃から書き続けていた詩を、不意に書かなくなりました。
詩を書くことの無価値を、不意に身体でわかってしまったのです。
僕が書いてきた詩は95%は駄作でしたが、残りの5%は佳作でした。
それら一握りの佳作はどれも人に見せたくなるような詩です。
なにをして過ごしてきたか
一日ふりかえってみたけれど
あまりに今日はぼんやりしていて
思えば僕は 僕の暮らしは
0歳のころから今日までずっと
ぼんやりしていたんじゃないか
(『僕の病気』より)
当時の僕はまだ22歳でした。今の僕はもう25歳になりました。
明日アルバイトの面接です。週5日フルタイムの清掃のバイトです。
書き始めてみると、書きたいことは頭の中にたくさんあります。
これから書いていこうと思います。