現実のバリエーションは部屋の中にも現れてきます。
現実というものも、結局は想像的に過ごされるものだからです。
でも想像の中には自分の姿というものが現れてきません。
それが部屋の中で過ごす現実と、部屋を出て過ごす現実の違いです。
僕はかなり長い間一人で過ごしてきました。
そのことの退屈やその間の浮き沈みの経験は財産です。
引きこもる前に抱いていた日々という幻想が打破されていく感覚。
でも今年に入ってからはバイト等、外に出ることでまた別の新しい視点を得るようにかりました。
部屋の中で得た真理と部屋の外で見つけた真理とをかけ合わせると、
この世の限界というものが強調されたように思えます。
部屋の中にいるときは世界の限界が見出され、
部屋の外にいるときには自分の限界が見出されました。
「本当にやるべきことなんかない」と当時の僕は何度も書きました。
「やれることなんかほとんどない」と今の僕は書きます。
今僕はアルバイトの面接に出かけています。
一切は本質的に苦で、快や幸福感は苦のない状態を意味していると僕は思っています。
人は死を恐れながら、死を待つために生きています。
その発想を持つ僕にとって、生はあまりに長く感じられます。
もういくつもブログを作っては消してきました。
一番長く続いたのでも3ヶ月程度でした。
読み返す甲斐もないようなブログです。