tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

19.12.28-1 億劫さについて

図書館へ行ったら、借りている本を延滞しているからカードが利用停止状態になっていた。

そのうち一枚のCDを紛失していることを思い出した。また億劫なことがひとつ。

 

1.私が求めているものは何か

権利は存在しない。行為は常に義務に支えられている。

義務の不在などという状況は存在しない。行為は常に「強いられている」。

いやいや、仕方なく、それが行為においての本質だ。

 

2.義務の要請

義務は命令を待たない。義務と行為の間には断層が存在している。

義務と行為の間に存在する戸惑いを、命令は力強い直線で埋め合わせる。

義務の問題は命令の不在である。主体は自らに対して命令することができない。

ゆえに孤立した主体において義務は命令のではなく命令は何かという問いの原因になっている。

私が求めているものは何かという問いは、義務を通すことで、私に求められているものは何かという問いに変換される。

 

3.

主体は命令がないとき命令を探求し、その地平で放浪する。

一 社会には諸命令が満ちている。命令は行為の有効性を支える。

二 命令がないとき主体は義務との関係を持つ。

三 義務とは命令の探究の要請であり、命令の不在への恐れからくるものである。

 

4.命令を支えるもの

命令は概ね現世的、世俗的利益に支えられている。それは世俗的な意味での「現実的な」要請である。

勉強すれば良い大学に入れる、着飾れば異性の好意を得られるといったものである。

 

5.命令の億劫さ

人は命令を求めながら、命令に対する反抗をもまた選択肢として抱えている。

義務から逃避することはできないが、命令から逃避することはできる。

命令から逃避した先にあるのは義務、つまり、別の命令の探究である。

命令はその本質として、その出自が明示されている。

命令に従ったり背いたりということは、その出自に対する不信に由来している。

命令の億劫さは、命令においては射程が明示されており、その具体的内容、ようするに「見返り」に不満を抱いていることから生まれる。

 

6.義務の億劫さ

義務の億劫さは一概に、出自も射程も曖昧なまま取り組まねばならないところの億劫さである。

義務は命令をもとめさまよい、他者から納得の行く命令を与えられない限り、仮設の対自的な命令を拵えるが、その命令には支えが存在しない。

義務は命令から解き放たれている、ようするに「自由な」主体の唯一の拠り所であるが、不安に充ちた拠り所であるほかがない。