tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

19.12.28-2

僕がすべきことがないと落ち込んでいるのは、世俗的な命令の射程の限界に落ち込んでいるということだ。

僕はコーヒーを一日4杯飲んでしまう。一杯飲むと、次の一杯が飲みたくなる。それはキリなく欲される。

乳房を吸い尽くそうとすること。この不安。

僕が求めているもの、万能性。社会との関わりを一切断ち、それで暮らしていけるということ。

現実には社会に依存し、その恣意性に翻弄され、精神を擦り減らし、それに耐えられないでいる。

同時に僕は、名誉を得ることや、女性と関係を結ぶこと、あるいは知恵を得ることに、果てしない射程を思い描いていた。

それが得られれば万能性が得られるという想定。それは命令ではなく義務であった。というのも、それは未知そのものを支えにしていたから。

それらの「義務」が去勢されたとき、僕には行為の可能性が、つまり義務の要請が失われてしまった。

手に入らないことを望むということ。そしてその望みを断ち切れないということ。

僕はまだ考えねばならない。僕が望んでいることをより詳しく知らなければならない。

社会との関係がいかなる理由で苦痛に満ちているかさえ、僕はまったく自覚していないのだから。

ようするに僕は、義務の要請が断ち切られたとしても、現実の要請、つまり命令に沿って生きていけばよかった。

問題はそれもまた不可能性として僕の前に立ち現れたこと。そこには明らかに対人関係上の、つまり社会関係上の億劫さが現れている。

その謎を解明すること。それが今の僕の課題。