tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

アチャン・チャー法話集第二巻を読んだ

 昨日は22時46分に寝て、三度目が覚めたのに、起きあがることができず、今日の夕方17時になってようやく起き出した。この種の無駄に長い眠りはしばしばあることだ。それからコーヒーを淹れ、アチャンチャー第二巻を読み始めた。

 19時30分に晩飯。冷凍餃子と白飯、わかめの中華スープを食べた。晩飯後に再びコーヒーを淹れ、アチャン・チャー法話集を一通り読み終えた。午前五時現在、空腹を強く感じ、家族が起き始めたら、辛ラーメンを食べようなどと考えている。

 

 

 今日、アチャン・チャー法話集の第二巻を読んで思ったことは、人間が悩まされていることは極めて低度なことであり、『さとり』は人間が思い浮かべるほど高度なものではないということだった。人間の悩みの源は、乳幼児の悩みと異なるものではけしてないということが分かったような気がした。

 私たちは自分の心を理解していないため、ものごとが自分の思いどおりになってほしいと考えています。このような考えは間違いだと理解するまでに、途方もなく長い期間かかるでしょう。(略)「何かを経験したくない」「穏やかでいたい」「心があちこちさまよわないでほしい」「いらだたないでほしい」などと考えることはすべて、欲です。でも、欲が生じても、心配しないでください。ただ実践を続ければよいのです。(p.174)

 「思考」と「智慧」は、まったく別のものです。「思考」は、感情に反応したり、感情のあとを追いかけたりして、際限なく考え続けます。一方、「智慧」があれば、心は静かになるでしょう。心は落ち着き、どこにもさまよいません。そこには、「この感情が生じたから、こうなっている。このような気分になったから、こうなっている」と、経験していることをそのまま知り、認めることだけがあるのです。

 過去にNHKのドキュメンタリー番組に、四歳児の思考や行動にスポットライトをあて、観察・検証するという趣旨のものがあり、興味深かった。それを見たときも僕は、人間の基本的な心理はすでに、幼児期に現れ尽くしているのだと感じ、どこかに書いたのを覚えている。

 簡単に言えば、感情がやりたがることは何であれ、やらないようにすることです。(略)感情に従わないでください。自分の感情に従う人は誰でも、自分の好みや欲など、いろいろなことを追い求めていきます。その人はまだ、何も実践していないということです。

 今日第二巻を読み終えたが、概ね悪い行為をしないこと、に終始した第一巻に比べ、瞑想という実践について語られた第二巻は複雑で、一度読み通しただけではその内容を理解することは難しかった。第一巻も読み返し、その内容を咀嚼することになるが、第二巻にはそれ以上に粘り強く取り組まねばならないと感じた。昨日は良く寝たため、今日は第三巻にも取り組んでいける気がする。一通り読み通した後、明日からまた、第一巻、第二巻、第三巻と、その内容の理解、咀嚼、実践へ取り組んでいこうと思っている。