tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

気づきを保つことだけ。

 昨日は午後9時くらいに寝た。それから今朝は6時半までぐっすり寝て、朝飯には消費期限切れのドーナツひとつ。朝から午後まで、集中してアチャン・チャーの「手放す生き方」を読んでいた。手放す生き方、だなどというタイトルを読む限り、一時期流行った断捨離だの、割合気楽な生き方を指すようなものに思えるけれど、アチャン・チャーの語る「手放す」は文字通り何もかものことで、愛する人や家庭、快適な家ほか、かなり極端な実践を指している。多くの読者は主婦層だろうと予想されるが、説かれている内容は極めて厳しい実践に励む出家者向けで、このギャップが面白い。

 同じ出版社から出た後発の「アチャン・チャーとの対話」シリーズよりも、重要な話、それに網羅的に説かれているという印象があり、もし興味がある人がいるなら、まずこの「手放す生き方」を読んだほうがいいと思う。他に類を見ない名著だと思う。堅苦しい哲学書、神学書、そんなものより深い。捕らえられる言葉尻のないような徹底した実践に支えられた語り口だと思う。

 大切なのは、歩いているときであろうと、座っているときであろうと、便所へ行くときであろうと、気づきを保つことだけなのです。……どこにいようと、自然体でいることと、観察によって、自分自身を知ることです。……道を歩いていて障害に出くわすときのように、煩悩に遭遇したら、ただそれを観察し、手放すことによって、それに打ち勝つのです。すでに過ぎ去った障害について、思い悩んではいけません。まだ見ていないものについても、思い悩んではいけません。今この瞬間に、しっかりとつかまっていてください。すべてのものは無常です。……最終的には、あらゆる現象は、それ自身として去来することとなるでしょう。(「手放す生き方」p.219-221;なお、引用するにあたって原文から口調だけ変えた。)

 

 

 歯が痛み始めて、歯医者へ行こうと思っている。明日は必ず予約の電話をする。それから、やっぱりアルバイトを探さないといけないと思い始めた。金を貯めて、社会に慣れて、“還俗”しないといけない。

 昼飯にはまぐろの巻きずしと残り物のカツ一切れ。昼以降はプッタタートの法話を流し読みしたり絵を描いたりと、かなり放埒に過ごした。晩飯は生ハムのジェノベーゼアクアパッツァ、食パン五枚切り半切れ、たまねぎとキャベツのサラダを食べた。

 読んだものを通して得た自分の態度を定めたい。書いてはいるが、まとまってはいない。