tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

「霧の中のゴリラ」を読んだ。

 昨日ベッドに入ってから眠るまで一時間半かかったけれど、今朝はいつもどおり、午前6時に起きた。猫の世話をして、トーストを一枚食べたあと、少しうとうと。ここ最近の落ち着きと比べると、ほんのすこし調子が出なかった。

 昨日は思うところがあって、ブログを更新しなかった。昨日の夜、いままでに読んできたアチャン・チャーの思想と自分の考えとを整理してまとめ、あるていど満足できるものになった。

 午前中は絵を描いていたけど、うまくいかず捨ててしまった。午後になってからは、昼食を食べるのを忘れたまま、ダイアン・フォッシーの「霧の中のゴリラ」という本を読んでいた。アフリカで野生環境下で暮らしているゴリラの中に混ざり合い、観察しながら、十数年間フィールドワークを続けた記録の本だ。エッセイ集のような軽い読み物だと思っていたら、半専門的な本なのでおどろいた。描写が細かく、400ページをゆうに超えるボリュームで、しかし読んでいておもしろい。何より、著者の熱意の凄さに驚かされる。もはや偏執と呼んでいいものだ。

 

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 ときには三国志のように他の群れとぶつかって争ったり、ときにはファミリードラマのように身内で温かい時間を過ごしたり、威勢をふるっていたゴリラのリーダーがやがて老いさらばえて死んでいく無常だったり、大怪我をして骨や筋繊維が丸見えになった状態で、医療も受けずしかし生き延びていくゴリラだったり、人間と重ね合わせることができるゴリラという存在だけに、そのドラマがいっそうダイナミックに感じられた。

 特に一番おもしろかったのは、第八章「カリソケ研究センターを訪れた人々」だった。ゴリラの本だけれど、やっぱり人というのはおもしろいものだと思った。この世には沢山の人がいて、多くの悪人がいるのと同じように、多くのすばらしい人々もいる。有名でもなければ、何かを残すわけでもなく死んでいく存在として、無常な流れの中に、喩えようもないような優れた人格を抱えた人々がいるという事実に、心あたたまる思いがした。

 最近は本をあまり読んでいないけれど、こういった伝記のような本を、これから読んでいこうかなと思った。フィクションの小説は、名作と言われるものを含めても苦手で、それが、もう何年も本嫌いだった理由でもあった。でも、ノンフィクションの本を読むと、面白くて夢中になっている自分に気がついた。26歳になって、ようやく本を読む面白さに目覚めたというのは、間に合ったと思うべきか、それとも遅かったというべきなのかわからない。

 

 

 午後4時頃、クッキーを二枚食べた。晩飯には、しいたけの肉詰め、ピーマンの肉詰め、大根の煮物、白飯を食べた。そのあとこのブログの過去の記事を多少読みやすく整理し、0時を過ぎてようやく、ベッドに入って寝た。