tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

人生の意味を探し続けたことについて

 今朝は午前五時二十分に起きた。昨日の夜は一時間くらい眠れなくて驚いた。前に書いたと思うが、午前0時にベッドに入り、眠るまで身一つ動かさず、午前六時に起きるという一定のペースを作ろうとしている。必然的に睡眠時間が六時間未満になるので、もしかするとやりすぎで、もう三十分早くベッドに入ったほうがよいかもしれない。

 小学生時代からずーっと、机に向かって勉強していても、頭の中に「こんなことではなく、何か本当にしなければいけないことがある」という疑念が渦巻いていた。だから、ただ集中力を欠いているからではなく、机に向かう意味が自分にとって極めて薄く、勉強することができなかった。中学生時代は、それでも自分の賢さを周囲に証明したいという意識でギリギリ食らいついていたが、志望校に一応受かった後の高校生時代はもう勉強する根拠が0になってしまった。俗にいうスチューデント・アパシーの、より酷い状態だった。

 十八歳くらいのころ、詩を書き始めたが、二十になったころ、次のような内容の詩を書いていた。「おかしい」という題名の極めて素朴な詩だ。

  おかしい

するべきことが
ほんとうにないのか
かんがえている

もし このまま
するべきことが
ないままならば

ぼくはそこに
あんしんを
みつけていなければ
おかしいにちがいない

 この詩は迷いを率直に現していて、それに、そこにある矛盾を明確に現してもいる。何かすべきであると思いながら、何もすることがない、ということの苦しさを、僕は高校時代以降ずーーーーっと抱えていた。言い換えれば、ずーーーーっと自殺のことについて考え続けていた。

 二六歳になってようやく、人生の目的などというものが存在しないということを確信した。それは、「どこかに、何か素晴らしいものが存在するはずだ」という幻想を、一応しまい終えたことを意味しているように感じる。(しかし、女性への幻想はまだ止んでいない。)

 言い方を変えると、この世には、『退屈』というものなど存在し得ないのだ、ということに気がついたとき、自殺について考えることももはやなくなった。苦しみのさなか、人生で初めて書いた6000文字足らずの掌編小説の題名が、「退屈」だった。小説といえるようなものではなかったが、常に僕の人生は「退屈」の苦しみとともにあったと、書いてきた詩を見ていても思う。

 僕は人生において、退屈から逃れるために、何か意味にすがりつこうとしてきた。三ヶ月前に書いた文章にさえ、「人生がなお続くということが、それだけで迫害的であるということ。」などと書いている。当時と今とを比べると、問題のありようが全然違う。今でも問題はたくさん残っているが、生きるか死ぬか、という水準にはもはやない。これからどう転ぶか分かったものではないが、ようやく自分は、「ふつうに暮らしている」人たちの流れに合流できたのかもしれないと感じている。

 

 

 今日は少しfreecodecampというプログラミングを学ぶサイトを(本当に少しだけだが)触り、なんだ、これじゃあ参考書なんかいらないじゃないか!と思った。ゲーム感覚でひとつずつ学べる非常に優れたサービスだった。

 午後五時頃からはずっと絵を描いていた。総計六時間。この時間プログラミングを学んだほうがいいかもしれないと思う。