tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

ラダック 氷河の羊飼い

 インド北部の羊飼いのドキュメンタリーを見た。ラダック 氷河の羊飼いというタイトルで、フィックスで撮られたカットが殆どだが、場面切り替えのテンポが早く、一見シンプルながら凝った編集で、ドキュメンタリーながらしっかり映画、という感じを受けた。序盤はありふれたドキュメンタリーのようだが、中盤以降は個々のカットがユニークで、今までに見たことがないようなものばかりだ。短い時間だが、濃度が高い。

 

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 アジアンドキュメンタリーズドキュメンタリー映画のサブスク型配信サービスで、一ヶ月1000円で膨大な数のドキュメンタリー映画が見られる。優れた映画が多く、値段もリーズナブルで、隠れた良サービスだ。AmazonPrimeやNetflixなんかよりずっと良い。強く推奨したい。

 

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 幻想の土壌は無知にある。オーディオオタクがこのケーブルを使うと音がクリアになるだとか馬鹿げた信仰を持ち続けるのはメカニズムへの根源的な無知にある。無知と幻想の構図はあらゆるものへ敷衍されうる。無知は人間にとって不可避だから、幻想は人間にとって不可避だ。

 

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 民主主義がほんとうの意味で成り立つためには、すべての民主が誰でもイニシアティブを取りうる程度の政治的素養を備えていなければならない。民主主義とはけして政治的素養を現実的に得られない民衆が専門家に政治を委託するという構造を本質とするものではない。その意味で、間接民主主義は本来的に「民主主義」の枠から外れる。「あなたの一票が国家を変える」スローガンが示す直接民主主義と違い、間接民主主義において「あなたの一票が国家を変える」ことはありえない。同時に、上記の理由から直接民主主義は成り立たない。インターネットを利用して各法案を多数決で決議しようなどとでもすれば国家は一挙に破綻する。すべての民主が政治的素養を備えることは不可能だから。間接民主主義において、「私達」の判断は、マクロな必然性をもたらす、個々の気まぐれ=ミクロな偶然性の集合としての「大衆」に他ならない。彼が政治的素養を備え、政治的構造の中に自らの役割を得ようとしない限り、その一票に何らかの意味はありえない。政治はトップダウンで行うよりほかがない。世界政府が実現するならば よりよい世界になるだろうという、実現はさておきその予測自体は、非現実的なものではない。しかしながらボトムアップでの意見の汲み上げが不要だというわけでは絶対にない。その汲み上げを間接民主主義上の投票に委託できるという発想に問題がある。

 

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