tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

友部正人について

 詩人、友部正人の「ニューヨークの半熟卵」を読んでいると、日々の生活のフィクション並みの充実に驚く。起こったことを書き連ねて読むに耐えるものになるような生活。四年近く部屋に引きこもり続けた僕には考えられない生活である。

 友部正人は僕の青年期来の三大アイドルの一人である。友部正人吉本隆明、ジャックラカン。この三人の作品や文章を読み僕は自意識を育んできた。特に友部正人は唯一の同時代人であって、そこに書かれている僕にとって異常な生活が、しかし同時代の生活であるという事実に裏打ちされている点で他の二人とは僕に与える影響の意味が少し違った。

 行こうと思えばいつでも行ける友部正人のライブに最初に最後で行ったのは2016年4月のことである。大学をやめて2年たち、専門学校への進学を決めたちょうどその時期にひとつの区切りとして友部正人を見に行くことにした。そのライブは観客に配られた紙片に書かれた曲を無作為に選び演奏してくれるというものだった。

 僕はその時の僕より若い友部正人が作った「熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ」という曲をリクエストした。この曲をリクエストした人はもう一人いたらしく、そのどちらがチョイスされたのかは分からないが、目の前で聴くことができた。

 その後物販で比較的新しい詩集である「バス停に立ち宇宙船を待つ」を買った。連れ立ってライブへ行った友人は「ちんちくりん」という古いエッセイ集を買った。「バス停に〜」はイマイチで、未だに「ちんちくりん」を読めていない僕は、買う本を間違えたとこのことについて思い返すたびに後悔している。

 この本にサインをしてもらうために列に並びながら、目の前にいる友部正人はもう老人と呼ぶべき出で立ちだった。僕が差し出した本にサインするとき、彼は「ありがとう」とだけ言ったのに、続いて友人の差し出した本にサインするときには「どうもありがとう」と言った。それが当時の僕には不思議に大きな衝撃であった。

 引きこもり時代にはたびたびブログを立ち上げ試みては頓挫してきた。部屋の中で過ごす僕の書くものはあまりに観念的であり、それならオフラインのテキストエディタで書いては消してを繰り返すあの思索行為の中でやればいいのであって、ブログとして残る形で書く必要はないという自明の理に阻まれ続けてきた。大体二十のブログを書いては消してきたと思う。

 今年の九月にバイトを始め、映画の塾のようなものに通い始め、少しは出来事への遭遇が増えたことでブログを成立させられるのではないかという気がした。とはいってもはじめの二ヶ月弱は僕の基準ではあまりに忙しく、そんなことを考える余地がなかったのだが。

 映画の塾のようなもの、どうしてそんなものへ通おうと思ったのか。想像上の出来事を現実上のものへ強制する力、それに惹かれたのだと思う。文字で書くのはあまりに楽だが、どこまでも架空であり、そこには現実へ開く扉が存在しないように思えた。もちろん読者があれば、という気がしなくもなかったが、読者というものは書かれた文字以上に架空のものである。

 映画の塾、に入って最初に撮った短編、それは作品の体を成さなかった。いろはのいの字も分からずに撮ればもちろんそうなる。構造的必然として失敗し、多くを学んだ。何がいろはのいの字も分からない初心者向けの塾だと思ったが、一般人並みの社交力があればそれでもなんとか形にすることは出来たのかもしれないという気もする。僕は知り合いとすれ違っても挨拶すらしない。どうしても語らないといけないことがあったとき語るだけで、基本的に社交性は健常の域にない。そんな人間が監督などできるのかという気がするが、おそらく企画、つまり計画が確立していれば何とかなるのである。企画がなくても手腕があればなんとかなるのかもしれないが、手腕が素人未満の僕には平常以上の企画、計画、さらに言えばその前もった共有が絶対的に必要であった。

 次の作品を撮る機会を得られるのは丸々一ヶ月以上先だ。その予定はしているが、機会の少なさと、遠さ、次も失敗する恐れ、の複合に慄いている。もっと気軽に撮れれば。もっと容易に社交できれば。どうして映画を撮るということはこれほど迂遠なのか。現実の手応えを噛み締めているのである。

 今日は自分が撮りたい脚本とは違うものを撮る訓練実習で撮ったものの映像をスクリーンで確認した。そこには僕の監督したシーンはまだ含まれていない。それは今週末に撮影し来週スクリーンに映し出されるはずだ。今日見たシーンのうち僕がくだらないと思ったものが講師に褒められていたことにやや怯えを感じた。僕は相対性に放り出される経験があまりに乏しい。絶対的な意味では自信過剰だが、それはあくまで独りよがりの領域であるということをこういう機会は教えてくれる。

 今日の記事はあまりに抽象的であった。これでも僕がこれまで書いてきたものに比べれば極めて具象的だ。このブログはもう暴露として書かれねばならないと僕は心に決めている。でなければ何も書いたことにはならないのだから。