tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

モーツァルト、ピアノソナタ第四番の録音についてのメモ

 個人的に愛着のあるこの楽曲の録音について、個人的な評価とメモ。順不同。

 

 ・アルド・チッコリーニ ★★★★☆

  チッコリーニの演奏は、ドキッとするようなド直球。しっとりとした曲をなにの衒いもなく、しっとりと弾くのだが、感傷的な、インク塗りの表現にはならず、曲を映し出す真実の鏡のように、澄み通っている。一度は聴いてほしい録音。  

 

 ・サンソン・フランソワ ★★★✰☆

  照れくささを感じるような、ちょっと斜に構えた、この人の演奏の醸し出す、このピンク色の煙、不思議なロマンティシズムの匂いはモーツァルトとはちょっと違った世界で花開く。サンソン・フランソワの、はっきりと「これ」ではないが、一つの「それ」である録音には一聴の価値がある。

 

 ・内田光子  ★★☆☆☆

  内田光子モーツァルトはやり過ぎだと感じる。暗く、退屈で、シューベルトではないのだからと苦笑いしてしまう。内田光子モーツァルト弾きとして評価を得ているのは理解し難いし、このピアニストの一番良い演奏はバッハのようなもっと高貴な楽曲で生まれていると思う。

 

 ・パウル・バドゥラ=スコダ ★★★★★

  フォルテピアノでの演奏。チッコリーニの演奏がド直球なら、スコダの演奏はド本命とでも言おうか。しっとりとした部分は明るく聞こえ、華やかな部分は悲しく聴こえる。曲が一定のテンションを保ち続け、何気なく流れていく、この白い明るさ、これがモーツァルトの本命だと感じられる。僕がベスト盤を選ぶなら、この演奏か、後述するエッシェンバッハの演奏になる。

 

 ・グレン・グールド ★★★✰☆

  誰が何と言おうとグールドのモーツァルトは素晴らしい。スコダの演奏に近いものがグールドの演奏にはある。ただ少し放逸なだけ。緩徐楽章も悪くないが、この曲の第2楽章の優雅さなど、舞踏楽章の表現については、間違いなくトップクラスだ。

 

 ・ロナルド・ブラウティハム ★★★☆☆

  ブラウティハムの演奏は基本的にまともだ。しかし退屈でない。やり過ぎず、やらなさすぎないバランス感覚をぜひ聴いてほしい。モーツァルトの演奏として数多ある名演の右に並べるほどではないとはいえ、特にハイドンなど、ようやく求められていたクオリティのピアノ曲全集を出している一流のピアニストだ。

 

 ・アーサー・スクーンダーヴェルト (Arthur Schoonderwoerd) ★★☆☆☆

  初めて聴いたときには豆鉄砲を食った。反響が異様、ハープシコードなのにテンポは激遅。特異すぎる。正直この曲については微妙だが、同全集に含まれたK.576など、この人のフォルテピアノによる緩徐楽章の表現には秀逸なものがある。秀でているだけでなく、明らかに逸脱している。それが良い。溶けてキャラメルのようにねっとりとしていて、喉に絡みつくようなしつこさがある。でも表現として聴かせるものがある。これだ、とは言わないが、一聴の価値がある。

 

 ・アレクセイ・リュビモフ ★★☆☆☆

  美しい演奏とモーツァルトの楽曲のアンバランスがあまりにもどかしい。奇才、天才、間違いなく超一流のピアニストであるリュビモフとモーツァルトの取り合わせは天丼とカレーを合わせたようなものだ。彼の取り組んでいる現代音楽は僕を蚊帳の外に置くが、ショパンベートーヴェンをぜひとも聴くべし。

 

 ・アンドレアス・シュタイアー ★★★★✰

  (フォルテ)ピアニスト版ハイティンクとでも呼びたい、録音魔である。それでいて粒ぞろいに仕上げている職人技は、あるいはハイティンク以上かもしれない。天才的な煌めきというよりは、抑制的で、品の良い、堅実な第一級の質の高さを持っている。この中ではチッコリーニの演奏に近いものがあるが、チッコリーニ以上に表現にこだわらず、酔いざめの水に似た、冷たくて透き通った、"そっけない良さ"がある。

 

 ・クリストフ・エッシェンバッハ ★★★★★

  瞑想的演奏。意識が常に1メートル先に置かれているような夢遊病的な、浮遊感のある演奏。テンポ設定などそこらの凡演にそっくりなのに、これほど特異な表現になっているのはなぜだろう?背中から抜け出し、腹の底で支えている。寂しく、美しく、何とも形容し難い、捉え難い演奏だ。第一等級の星のように、ただ美しく輝いている。

 

 ・ラン・ラン ★☆☆☆☆

  さすがに巷の凡ピアニストとは一線を画した高貴さがある。ただ、解釈が退屈で、弾いているだけ。演奏を聴くことで得られる何らかがほしい。

 

 ・ウィルヘルム・バックハウス ★★★★✰

  どうやって演奏しているのだろう?という感じ。アダージョとは思えないテンポ設定だが、適切だと感じられる。クレッシェンドが極端なのに、自然だと感じられる。この素っ気なさがかえって胸に響く。バックハウスという演奏家は、どこにいるのだろう?足を踏み外しそうな演奏で、しっかりと一歩一歩を刻むのだから驚異的である。僕に言わせれば、この人は全然ベートーヴェン弾きじゃない!ベートーヴェンも弾く、ずっと普遍的な演奏家である。

 

 ・エリック・ハイドシェック ★★★☆☆

  コニャックのように甘くてとろとろの演奏である。流石にフランスのピアニストだ。それでいて清潔で、透き通るようだから、もっとさらっとした演奏のほうが好きだが、とても批判できない。

 

 ・ワンダ・ランドフスカ ★★★★☆

  喩え話だが、機織りのような演奏だ。録音で聴いていても、ずっと親しい。不思議な温かさがある。聴く状況によってはこれが一番だと感じられる場合があるのではないか。独特で、一聴の価値がある。

 

 ・イングリッドヘブラー ★★★★✰

  しっとりと濡れた手だ、冷たい音だ、不思議な演奏だ。誰もが最初に手に取るだろう。その立ち位置にヘブラーがあることは幸運だ。あまりに高貴すぎるという意味で、これがモーツァルトとして本質的だとは思わないが、間違いなく歴史的名演に数えられる。

 

 ・ヴァルター・ギーゼキング ★✰✰✰✰

  正直に言うと、モーツァルト弾きとして著名なピアニストの演奏として期待はずれだ。これといった美点を持たないつまらない演奏だ。

 

○以下、評価できない演奏

 

 ・アンドレアス・シフ

  個人的に苦手な、というより嫌いなピアニストだ。特に強弱法において、妙な衒い、というより、恣意的なゆらぎがあり、聴いていてむずむずする。評価しようがない。

 

 ・マリア・ジョアン・ピリス

  高く評価されているピアニストだが、個人的に合わない。つまらない感傷を曲の中に盛り付けるタイプの「ドラマティック」が鑑賞に耐えない。モーツァルトの楽曲においては、その悪しき特質が強調される。

 

 ・ファジル・サイ

  グールドが天才ならサイは馬鹿だ。凡演未満だと言わざるを得ない。