tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

詩と遅刻癖

 僕は今日で三連続くらい職場へ遅刻している。今日は珍しく早起きしていたのに、家でバタバタしているうちに一本電車を逃していた。この前あるサイトで自分の詩を集めたものを文庫本サイズで印刷してもらうことにした。冊数は二冊。一冊は保存用。それで値段は送料含めて千円を切っているのだから有難いことだ。十一個の長めの詩を集めて、87ページのちょうどよいサイズになった。このような試みは既になんどかあったことだけれど、実際に注文まで行ったのは今回が初めてだった。2013年の12月に書き始め、もう6年近く経つのに、自分の詩集を自分の納得の行く水準で構成することが一度もできなかった。

 詩を書くということは、ある時期には糞をひり出すように、ある時期には人に自分の力を思い知らせるために、またある時期にはあこがれへ同一化するために取られたが、ここ最近、去年の暮れ頃からはずっと日記を書くのと同じ感覚で書かれている。何か書きたいことが生まれ、それが価値を持つかどうかも分からないまま書き始める。書き始めるといろんな連想が生まれ、サツマイモを引き抜くときのようにそれを一つずつ抜いていく。このブログを書くときも大概同じであって、事実ブログで書いたことをそのまま詩に組み込んでしまうことは頻繁にある。

 そんなやり方をしているから詩に詩らしい色気が出ないのだが、無意識で書いて意識で読めるようにしていた当時より、意識で書いて無意識で読めるようにしている現在のほうが、自分にはしっくりいくように感じている。勿論時には色気のある詩を書きたくなることもあるが、書いているうちに覚束ない気分になってきてやめてしまう。