tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

海のない港町

 池袋は変だ。一歩踏み入れると新宿や渋谷では醸し出せない特有の寂を感じさせてくれる。長崎を思い出すような寂。海の音のするほうに近づいていくと幹線道路へ突き当り勘違いに気がつく。なのに涼しい潮風が吹いていて、頭が混乱してきてしまう。この匂いは猫のションベンの匂いなのかそれとも潮の匂いなのか。眠たくて歩き回っていてはだめだ。街はこんなに魅力的なのに図書館に入るとその小ささが僕の身体を拡大して妙に惨めな気持ちになった。図書館で座り込むのも諦めて歩いていると、とんかつは飲み物。という店に女性が入っていった。かと思うとハンバーグは飲み物。という店に出くわしていよいよ狂気が溜まってきた。どこかで落ち着きたい。一度渋谷に避難しようか。

 街を歩いて人の顔をじろじろみても好みの女性の顔はなかなか見つからない。不思議なことだ。このことを僕は三回も詩の中で「君の顔に似ているものを探したけれど見つからない」と書いた。書いて捨てた詩を含めれば四回。これは不思議なことだと思わないか。その顔、その顔。その顔だ。僕を見捨てないで。

 前に文字で「海、海、海、」と表示したあと人混みの映像を見せたらどうかと思ったが大したことなかった。今は「顔、顔、顔、」と表示したあと見せたら面白そうなものについて考えている。勿論車や室外機では論外である。

 渋谷で仮眠を取るなら名曲喫茶ライオンがおすすめだ。たまにマーラーやらベルクやらがかかってムカムカするが、何時間寝ても閉店時間が来ない限り特に何も言われない。渋谷で一番良い場所なんじゃないか。話はできないが。

 そして渋谷へ降り立ち歩いていたが、よく考えたら歯医者は明日であった。この馬鹿。馬鹿なのである。時間を潰す理由がなくなった。馬鹿なのだ。これだから徹夜はやばいのである。

 いっそ今から夕方の神保町へ行こうかと思ったが間違っていつもどおりJRの改札を通ってしまったのである。

 

 大山とんぼを 知ってるか
 くろくて 巨きくて すごいようだ
 きょう
 昼 ひなか
 くやしいことをきいたので
 赤んぼを抱いてでたらば
 大山とんぼが 路にうかんでた
 みし みし とあっちへゆくので
 わたしもぐんぐんくっついていった

 (八木重吉「貧しき信徒」)

 

 花がふってくると思う
 花がふってくるとおもう
 この てのひらにうけとろうとおもう

 (同上)

 

 白痴の切れ味のようなものが八木重吉の詩にはある。僕はひとり、お前はいつも徹夜なんだなと呟いている。お前はいつも眠たいんだな。海、海、海、……新宿や池袋の駅前には浅黒い肌をした人をとる漁師がいる。3回同じところを通れば3回同じように話しかけてくる。2回目に苛ついても3回目には楽しくなってくる。スペインの広場にも漁師はいて、当時二十歳だった僕は親切に話を聞いていた。今思うとなんて間抜けなんだろう。サッカースペイン代表のコケという選手に似た青年が見かねて助けてくれた。僕ならよほどでないと助けないし、よほど見苦しかったに違いない。その日の朝、マクドナルドで暇を潰しているとスペイン人の男性からスペイン語で話しかけられ、首を傾げていると、“you are so many time” と言われ“OKOK”と返すというやり取りがあったから、つい気が緩んでいたという言い訳をしたい。

 マニアなんかは神保町を訪れて涙やらよだれやらを垂れ流すと聞いていたが、僕の場合ひどく下品なものを見たという気がした。女なんてこの世にいくらでもいるといったような立ち居。うんざりしないのか。僕もその流れに参入する気が失せる。既に言葉が溢れすぎている。