tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

もう春を待つ

 目が覚めたら午後二時で、目覚まし時計をかけなかったらこのくらいは寝るんだなと懐かしい気持ちになっていた。それから何もしない時間が続いて気がつけば午後十一時になっていた。猫と寝ていた午後六時から午後九時の時間はとても長い時間のように記憶されていて、その時間の背中の筋肉の張りの置き土産で、今僕はこの文章を書きながら億劫な気だるさを感じている。

 今日も昨日に続いてひとつの詩を書いた。最近はずっと避けていたかなり億劫な方法で書いた。2250文字も書いたけれど、この分量を「も」と呼ぶと小説を書く人には滑稽にみえるかもしれない。気がつけば二年前に書いた夏の詩と併せて、秋と冬の散文詩が出来上がっていた。作品内の時系列は、なぜか冬→秋→夏の流れになっていて、その三つの作品がこれから春に書かれるはずの詩を待っている。現在書くものと同じ水準に、二年前に書いたものが存在するということに変な気分を覚えている。この四つの詩をいずれ書き終えたら自分でB5用紙にでも印刷してホチキスで留めて製本しようと思う。四つでちょうど8000文字強くらいになるんじゃないだろうか。それは明日目が覚めて書く気になっているかもしれないし、三月以降書くことになっているかもしれない。確かなことは夏の詩は夏に書かれ秋と冬の詩はそのどちらとも取れない今の時期に書かれているということだ。春の詩を今書いていいのかという疑問についてどう応えるべきかわからない。

 この一ヶ月の間に僕は自分の中で人との多くの交流を繰り広げてきた。それは僕以外の人からはおそらく何でもなかったようなことだった。多くの人はあまりに突飛なものばかりを迷信と呼んでバカにしているけれど、関係のないことを関係の中に位置づけることは極めてありふれたことだと思った。

 二ヶ月前にあったことが二年前にあったことのように思われ、一ヶ月前にあったことが一年前にあったことのように思われる。一昨日あったことが一ヶ月前にあったことのように思われる。さっきのことが二日は前のことのように思われる。

 その間何もしなかったし起こらなかったようにも思われる。