tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

殆ど果てしない眠り

 僕はもう冬と同じ服装で外に出ている。12月からスペインに行ったときは暑さに強い白人に暖房が効きすぎだと怒られたが、あれは日本人でも叱られたくらい効かせていた記憶がある。彼らが常用している蛇腹式で中にお湯を通すタイプのヒーター。あれは殆ど暖を取る役に立たない。あれだけ代謝していれば沢山食わねばいけないだろうし、そりゃ戦争の機会にも恵まれただろうと思った。大義を持ち出さないと戦争ができない日本人とは違った。

 昨日はいろんなことがあった。いろんなことが。そのうち一つのことについて書こう。アルバイトを辞めたこと。辞めるのには普通二週間くらいかかるのかと思ったが、即日で辞められて驚いたし、今後どうしようかと思って困ることにもなっている。僕は今職場近くの蔦屋にDVDを返しに行っている。明日は職場近くの歯医者で予約を取っているし、すっかり当てが外れた。それでも出かけることになれば電車でこうして文章を書いたり本を読むきっかけになるのでよい。昨日は22:00に寝て今朝は一度08:00に起きたのに目を覚ましたら15:00になっていて驚いた。眠りは殆ど果てしなく取れるものだし、起きようと思っても目的がないと起きれない。とんだ気質だと舌を巻くみたいに溜息をついた。

 二年前に書いた詩とその詩を下敷きに一昨日書いた詩を見比べていた。共通していたのはどちらも女性の社会性について触れていることだ。どうして男女関係は駆け引きを絡めるのかという古来の僕のあまりに純真な疑問において、それは男女関係は純粋な二者関係ではないからだよという答えを導いた。女性は男性にとっていつでも社会的存在として立ちはばかる。それは女性というものの二面性だ。片方では純粋な二者関係の成員として想像されるのに、もう片方では経済や法に関係する社会的番人として男性を試す。逆方向については僕は自信がないのだが、おそらく同じように女性を社会的に試すものとしての男性が現れるはずだ。しかも女性は全存在的に男性に試されるはずだ。だからこそ女性は社会や法を担おうとする。

 もちろんこれは観念的思考である。僕は肉体的男性、女性をそれほど信じていない。特に女性は取りうる態度の幅が広い。男性は割合男性として振る舞う他がない。