tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

至言を求めて

 喩え話から入ろう。動物が欲求で頭の中を一杯にしているように、人間は欲求と欲望で頭の中を一杯にしている。欲望。それは多種多様なものではなく、唯一のものだ。疎外からの復帰。人間は欲求、経済的水準を離れれば、常にそのことで頭を一杯にしている。

 動かしがたい現実というもの、極めて単純なものを露わにしなければならない。言葉は単純さを求めるがキリがない。それは複雑さへ安住しようとする。だが話すものの求めるものとは単純さであり、決定された価値秩序なのである。価値秩序の決定、それこそが彼を疎外から救う理想的なものだ。

 「主体の他者性」が言語によって断言されるとき、遡行的に他者へ主体性が認められる。主体は「純粋に他者であること」から疎外されている。言語的関係とは彼を他者として取り込む関係である。特に性交は主体の疎外を象徴するところの特権的な他者の関係像である。

 言語は主体を他者としてありふれた形で規定する。主体はありふれた物を欲しがり、ありふれた振る舞いをすることを免れ得ない。ありふれていない人間は幻想的にしか存在できない。

 要求は価値ある他者の愛を要求し、価値のない他者を無視し、競争相手を憎む。最も露骨な要求は媚や奉仕である。憎しみは彼を疎外するものへの憎しみであり、愛はそれを手に入れることで彼が世界から承認されると信じられる他者への愛である。

 第三者と関係を持つ方途として第二者はある種の道具として恋される。典型例において、女性は男性の背後に〈社会〉を見出すことで男性に恋し、男性との関係によって社会との関係を築く。男性は女性の背後に〈世界〉を見出すことで女性に恋し、女性との関係によって世界との関係を幻想的に築く。世界との折り合いのつかなさが、女性との折り合いのつかなさへ変換されていることが、その幻想を維持させる。

 「正常な」人間は自らの価値基準を他者の価値基準との擦り合せによって決定する。その消耗によって彼は社会と手を取り合って暮らすことができる。価値基準が安定するためには誰か特定の他者の姿を規定する必要がある。それこそ精神分析学が転移と呼ぶものだ。価値ある相手の反応を伺い、自らの価値基準を構築しようとする。

 転移における苦しみの原因は相手の価値基準を計り知れないものとして捉えることの消耗の苦しみである。価値基準の安定は人性の安定に等しい。彼はそのとき「何を為すべきか知っている」からである。主体が求めるものは決定した価値秩序である。