tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

エピクロス

 今日は図書館で寝たり読んだりしながら、エピクロスの思想についてスマホで書いていた。その分かりやすさが好きだけど、分かりやすすぎる欠点もある。大体自分が言いたいことは書けて満足した。

 人と話をするとき、その内容は重要だけど、あまり重要ではないとも言える。この言い方はとても繊細で難しく、ずばり言うと、愛にまつわる二つの感情が、それぞれ別に存在している。一つはそばにいるだけで満足できるという感情。それは愛については本質的で、二者関係という想像を成立させる点で本来もうそこに足すことができるものはないはずだ。もう一つは、それでは不安になるという感情。この不安はこの不安で愛にとって本質的でありながら、不安の明示としてやっぱり関係を少し不純にする。言葉を交わさなくてもお互いに愛が確認できている状況だけが、純粋にそばにいられることの満足を成立させるが、あくまでそれがひとつの理想に過ぎないことを理解しておく必要がある。相手が何を感じているか分からないところでの純粋な満足は、常に自慰に陥る危険を孕んでいる。

 恋の難しさは、人間が放埒であることにあると思う。つまり人は簡単に恋してしまう。だから、思想ばかりラジカルなフェミニストは結婚を契約だと唾棄したがるけれど、実際に恋してみれば、独占の保証の問題がどれだけ重要か理解できるはずだ。言い換えれば放埒な出会いが必然的な出会いへ変わる転換点は、結婚を除いて現状ありえない。人は理性的存在でありえても、放埒な存在であることをやめることはできない。理性的だから契約が必要ないんじゃなくて、理性的だから契約するんだ。こういうことは恋したことのない人には理解できないことだ。

 不倫の問題はふたつあって、ひとつは片方が責任を果たせなかった場合だけど、この場合というのは不倫より離婚へ繋がりやすいから、あまり不倫という形で問題にはならない。もうひとつは愛より性が前に出るとき、不倫というものがひとつの性癖として魅力的に感じられるという場合だ。この場合は不実だどうだという世俗的な言われ方では全く的外れで、要するにアブノーマルなプレイへの欲望を避けられなかったということで、そういう水準で暮らしているということ自体が何か人間性のようなものを侮辱している気がするし、僕には理解できない。どうなんだろうという気がする。それはフェラチオくらいでも、やめようよと思う僕だから疑問に思われるのかもしれないけれど。こんなこと書いていると僕もフェミニストだと言われそうだ。

 今日は前書いた歯医者に行ったけれど、やっぱり素敵な歯医者だった。生まれて初めていい歯医者に出会ったと感じている。

 今日は前に製本を頼んだ本が届いたけど、外も中身も納得行かなかったな。