祈るために宗教が邪魔になることはあっても、助けになることはほんの少しもない。"それ"はどこまでも個人的なものであるのに、"それ"があるべき座はどこまでも集団的なものである宗教に取って代わられている。
宗教はクソだ。素晴らしい宗教などなく、キリスト教だろうが仏教だろうが、宗派などに依らずそこに例外はない。性急な寄り集まりとしての性質がすでにそれを台無しにしているからだ。仏教はいつ堕落したか?それはそもそもブッダの骨を競って奪い合うような輩が成立させた集団の現す教えだということを理解しているだろうか?神様と呼びたくなるそれをキリスト教や神道の示すような臭いで台無しにしてはいけない。
"神様"はどこまでも現在的なものだ。だから祈る。イメージとして描けるようなものを対象に据えるなら、"祈る"必然性などどこにもありやしない。
もしあなたが祈るなら、その間だけでもいいから、どこまでも個人的でありますように。
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encore
未来は長く続く
僕は幾何的な長さを
この身体で体現するかのように
ただ待ち望んでいる
夜が平らな底で
曲面を表現しようとしている
少しの光が均し続けてきた硬い底
街路樹が
犬のように吠えている
あまりに分かりやすいものが
世界を構成している
encore,
ずっと抽象的な光がほしい
神様と呼ぶと それが
神様というイメージにかわってしまう