tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

それは価値あるものではない

 日常生活は仮の価値を措定してようやく営まれる。あれが価値だ、それが価値だ、という形で溢れる広告が自己宣伝を繰り替えすとき、それを資本主義の象徴と見る見方があるけれど、「どれが価値か?」という問い、より根源的に言うと、「どれかが価値である筈だ」という態度、それは、経済の形態に関わらない、人間にとって本来的な態度である。そしてその態度は、「そしてどれも期待はずれだ」という根源的な落胆をその裏に持っている。

 日常生活に訪れる苛立ちや怒りはすべて、それが価値あるものではないという「薄々」気がついている真実と、それでもそれを追いすがり付く自分自身の「愚かさ」とのギャップの間で生まれる。例えば他者に対する怒りというものはいつでも、それが本来そうではないのに抱いている他者に対する期待と現実とのギャップの間に浮かんでくる。

 一日にほんの僅かな時間、瞑想の時間を取るべきだ。その方法はどのようなものか、この世のあらゆるものは無価値であるという誰もが必ず気づいているはずの真理に耳を傾けることだ。座っている間、その気付きに耳を貸し、肯定する。だからその間の時間、何もするべきことはない。

 そして目を開けるとまた、どれかが価値であるはずだという態度に戻るのだ。そのどれもが価値であるはずはないという経験論と表裏一体の探求の中へ。「それは価値あるものではない」というときの「それ」とは、この世のあらゆるもののことだ。誰もが内心必ず抱いている、その「この世への不信」を、「薄々気づいているけれど意識しない」状態こそ、心的な問題の温床なのである。