tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

「観察するだけ」ということ。

 昨日は朝の四時に寝て、正午になって起きたが、眠気や身体の気だるさが取れなかった。睡眠のサイクルが良くない。ヨーグルトとドーナツと牛乳を食べ、またベッドに横になった。何度か目が覚めたが、うつらうつらしたまま、結局夕方の五時まで寝ていた。

 寝ていた間、浅い眠り特有の、つぎつぎと湧き上がる無数の夢を見た。その中にはそれほど露骨ではなかったが、性的なものも含まれていて、意外に感じた。

 それから10分だけ坐って瞑想をした。その後コーヒーを入れて法話集を読み直し始めた。午後八時になったころ晩飯を食べた。オクラとエリンギとかぼちゃの天ぷら、蕎麦、肉じゃが、白飯。オクラの天ぷらが美味しかった。

 そしてまた深夜の間中、法話集の第一巻を読んでいた。読み返すと、最初に読みはじめたときには気づかなかった箇所に、気づくようになっていた。

 

 

 ただ心に生まれてくる諸々の現象を観察するだけでよいのです。(第一巻 p.113)

 欲や怒り、無知が生まれませんか?対象にたいして執着が生まれませんか?こうしたことを観察するのが、内面の研究です。(第三巻 p.315)

 欲は生まれる、しかし欲がなければ行為はない。欲を観察しながら、執着を拒み、しかし結局行為する。その繰り返し。

 

 瞑想をしていると、諸々の思考や感覚、妄想が湧いてきて、どうしようもないと感じることがある。すると、次の喩えが脳裏に浮かんでくる。

 「心は絶えず変化するものであり、これが心の性質である」ということに気づくと、そこに理解が現れるのです。……サルはじっとしていません。これがサルの性質です。……サルがいろいろなものに手を伸ばすのを見ると、それにつられて「おい、やめろ」と叫び、「とんでもないサルだ!」と怒鳴ります。これが、サルを知らない人です。……私たちはサルとはどのようなものかを理解するだけで十分です。理解するだけで、心が落ち着くのです。……感覚はサルのようなものです。……どんな感覚でも同じ性質があるのです。そこで、私たちは感覚の性質を理解して、どうすれば感覚にとらわれず、放っておけるのかを理解しなければなりません。感覚は不確かなものです。一時的で、不完全で、実体はありません。すべて無常であり、苦であり、無我なのです。そこで、「眼・耳・鼻・舌・身・意」が感覚対象を認識したとき、サルの性質を知るように、その性質を知り、理解してください。そうすれば、心は穏やかになるでしょう。感覚の性質を理解しなければ、智慧は生じません。……しかし、大勢の人は感覚を見ずに、感覚から目を背けます。(p.244-246)

 これは瞑想についての特段優れた教えであると感じる。心に浮かび上がってくる感覚や思考を、無理やり抑えつけようとするのではなく、あるがままにして、理解しようとすること。

 気づきを保ち、物事を自然なままにさせておきなさい。そうすれば、どんな環境にいようと、あなたの心は透明な森の池のように静まっていきます。その池には珍しい生き物が水を飲みにやってきたり、あらゆる種類の、さまざまなことが生じるでしょうが、あなたはこれらの現象のありのままの姿を明晰に観察します。さまざまな、奇妙で不思議な現象が去来しますが、あなたは澄み切って静寂なままです。(「手放す生き方」)

 心というものは――真理の立場から見れば、何も悪いところはありません。本質的に清らかなものです。心そのものは、すでに穏やかなのです。心が穏やかでないのは、私たちが感情にとらわれているからです。心の本質は、感情とは関係がありません。自然の側面にすぎないのです。(第一巻 p.82)

 何かを受け取るときでも、気をつけて受け取るようにします。過剰に喜んだりしません。反対に、何か持っているものがなくなったり壊れたりしても、いやな気持ちにはなりませんし、苦しむこともないのです。これは、「一切の現象は無常である」ことを明確に理解しているからです。(第一巻 p.97-98)

 実践とは、思考することではない。思考は妄想であり、観察することを妨げる。実践とは、観察することである。苦しみを、観察することである。どの苦しみを?と探し求める必要はない。何もかもが苦しみなのだから。苦しみは、いまここにあり、他ならぬ苦しみによって、感情や思考があちらこちらから、呼んでもいないのに浮かび上がってくる。

 世の中はこのように回転しています。これはちょうどマンゴーの樹のようなものです。樹が成長し、花が咲き、実がなって、熟します。それから実は腐り、地面に種が落ちて土に戻ります。また新しいマンゴーの樹が育ちます。このサイクルが、また始まるのです。これが世の中というものです。そこに意味はなく、ただ決まりきった同じことをぐるぐる回転しているにすぎません。……私たちの生き方も同じです。今日もいつもの決まりきったことをくり返すだけです。(p.122)