tapanta

考えたこと、詩、などを書く。

私の神様

 今朝ある言葉がふいに降りてきて、それをメモ帳に書き留めた。今年に入ってから、自分を実務へ専念させようと決意して、詩を書くのをやめていたが、今朝書き留めたつぎの言葉はまごうことなく詩だった。

 神様がいないことを
 これほど欠損と感じているのだから
 私は無神論者ではないんだ

 これは「散々書いてきたから/書くことがなくなってきた/白い暮らしの中に/書かなくても良いようなことばかり/霞のようにかかっている」とさえ書いた過去の自分が、いままで書いたことのないような言葉だった。この三行詩を読んだうえで、自分の書いてきた詩を読み返すと、いままでそうとは思っていなかったが、無神論の立場を維持でも貫こうとした過去の自分の姿に驚いた。

光が死んで風になる
風が死んで海になる
海が死んで砂になる
砂が死んで影になる

 

小さな灯台
灯台よりも小さな月
昼間のように明るい喫茶店
人のように長居する影

 

そして、窓を通る
あまりに無数の視線
もし神様がいたならば
こんなに視線が溢れているはずがない

 あるいは宗教はクソだ - tapantaという露骨すぎる過去記事も存在していた。自分がどれほど手をつなごうとしてもつなげないものとして宗教を見ていたし、「良い宗教などない」というシンプルな発想はいまだに私の中にある。しかしながら、それは結局「自分は神を信じているけれど、それが既存の宗教のものとはかけ離れているだけ」なのではないか。そういう発想が自分の中からこう、ぽろっと出てきたのは新鮮だ。そうだ、自分は無神論者じゃないんだと思った。

 どうして自分は生きているのか、生きている意味とは何なのか!と強く問う限り、その欠損感・問いが残り続ける限り、あるいは「孤独」というものが、身の回りに存在する人や物との関係の中では解決できない何かであると信じられる限り、その人は無神論者ではありえないんだ。